親の言うことをもうしんする 「妄信」「盲信」のどっちが正しい?

「もうしん」という漢字は「妄信」と「盲信」がありますが、それぞれどんな場面で使ったらいい言葉でしょう?「妄信」と「盲信」はよく似た言葉だけに気になります。ここでは「妄信」「盲信」のそれぞれの意味の違いや例文について解説していきます。

「妄信」と「盲信」の違い

妄信(もうしん)
意味:むやみやたらに信じること。
「妄信」はいちいち物事の結果や是非を考えないで、浅はかに客観的根拠や具体的証拠もないことを軽率に信じ込むことです。迷信にニュアンスが近く、一方的な思い込みや社会的権威に基づいてむやみに何かを信じている時に使います。 妄という字には「みだり」という意味があります。
盲信(もうしん)
意味:自分で理解や判断することなく軽々しく信じること。
「盲信」は深い考えもなく物事の解釈を鵜呑みすることです。盲という字には見えないという意味が込められていますが、「盲信」は「見えない=実情(判断するための材料)を見ることができないという状態」なのに信じるという状態を示します。

親の言うことをもうしんするは盲信が正しい

 

判断の効かない子供が意味も理屈も説明されずにただ「親の言うことをもうしんする」場合は「盲信」を使います。

「妄信」の例文

例文1:教義に賛同し、教祖の考えを妄信するようになった。

まず自ら教義を理解し、その上で賛同するようになったので「妄信」を使います。

例文2:陰謀論を妄信してしまう。

陰謀論の内容をわかったうえで信じるのであれば「妄信」を使います。

「盲信」の例文

例文1:この村ではすべての村民が聖典に書かれていることを盲信している。

親子代々受け継がれて、理屈など関係なく「こうあるべき」と思わされているものに対しては「盲信」を使います。

例文2:いくら教科書とはいえ、書かれている内容を全て盲信するのは間違いです。

教科書などに書かれていることを考えずに鵜呑みにすることを表現するなら「盲信」を使います。

論文・小論文で「妄信」と「盲信」を使い分ける視点

「もうしん」は「妄信」「盲信」ともに簡単に信じることを意味しますが、その中でも「妄信」が迷信を意味し、「盲信」が鵜呑みを意味します。それぞれはよく似ているので、論文・小論文で書く時にはしっかりと違いを覚えておきましょう。

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