「雀百まで踊り忘れず」の意味 「三つ子の魂百まで」などの例文

「雀百まで踊り忘れず」は日常でもよく使われることわざです。具体的にどのように使えばいいでしょう。ここでは「雀百まで踊り忘れず」の意味や「三つ子の魂百まで」などバリエーションでの例文を紹介していきます。

「雀百まで踊り忘れず」の読み方

読み方:すずめひゃくまでおどりわすれず

「三つ子の魂百まで」の読み方

読み方:みつごのたましいひゃくまで
「雀百まで踊り忘れず」の「雀」は「じゃく」ではなく「すずめ」と読みます。「三つ子の魂百まで」の「三つ子」は「みつご」と読みます。また「魂」は「こん」ではなく「たましい」と読みます。

「雀百まで踊り忘れず」「三つ子の魂百まで」の意味

意味:若い時に身についた習性は年をとっても変わらないということ
「雀百まで踊り忘れず」の由来は「上方いろはかるた」にあると言われています。もとは、「雀百まで踊り忘れぬ」ということわざだったのですが、「上方いろはかるた」の「す」の札に「雀百まで踊り忘れず」と表記されたことから、「雀百まで踊り忘れず」の方が広く使われるようになったと言われています。また、1642年に西武が編纂した俳歌集『鷹筑波集』にも記載があります。「雀百まで踊り忘れず」は雀が死ぬまで飛びはねる癖が抜けないこと、そして「踊り」という言葉から、主には道楽者や浮気者に対して悪い癖が直らないというときに言うようになったと言われています。「三つ子の魂百まで」は『源氏物語』の第四章の「筆取る道と碁打つこととぞ、あやしう「魂」のほど見ゆるを、深き労なく見ゆるおれ者も、さるべきにて、書き打つたぐひも出来れど」という一節が由来だと言われています。意味は「書を書いたり、囲碁を打ったりする事は、練習を積み重ねていない人でも、生まれ持った才能があれば上手にやることができる」という意味です。ここから、「生まれ持った才能がその後の人生に大きく影響する」という意味を表すようになったと言われています。「三つ子の魂百まで」の「三つ子」は幼い頃という意味で、「魂」は性格や性質の意味を表します。「雀百まで踊り忘れず」も「三つ子の魂百まで」も基本的には同じ意味ですが、「雀百まで踊り忘れず」は主にマイナスイメージに使われるのに対し、「三つ子の魂百まで」はマイナスイメージにもプラスイメージにも使うことができます。

「雀百まで踊り忘れず」の例文

例文1:雀百まで踊り忘れずというように、子供の頃についた習慣はなかなかなおらないので、きちんとしたマナーは子供の頃から身につけさせたい。
例文2:スポーツで悪い癖があると怪我しやすくなるが、雀百まで踊り忘れずでいまだその時の癖が出てしまうことがある。
例文3:雀百まで踊り忘れずで彼の汚い言葉遣いは社長になった今もちょっとした気の緩みで出てくることがある。

「三つ子の魂百まで」の例文

例文1:昔から文章ばかリ書いていたので、三つ子の魂百まででいまだに暇があると文章を書いてしまう。
例文2:三つ子の魂百までで昔からやっているゴルフはいまだにプロ並みの成績を上げられる。
例文3:三つ子の魂百までとはよく言ったもので、子供の頃に覚えた英語をいまだに覚えている。

「雀百まで踊り忘れず」をうまく用いる

「雀百まで踊り忘れず」は日常でよく使われることわざです。論文・小論文でも正しく理解してきちんと使えるようにしておきましょう。

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